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2011年06月 アーカイブ

山田町へ行ってきました 最終回

2011年06月16日 (木)

駆け足の盛岡ー山田町ー釜石ー仙台でしたが、何度ニュースで見てもやっぱり自分の目で実際に見るのは全く違う、とお母さん・・・。
お母さんのふるさとではありませんが、岩手県はお父さんのふるさとです。だから私のふるさとにもなるのかなーーー。(私は蒲田生まれですが、実は今私のお母さんとお父さんも、盛岡にいます!)
岩手でも特にこの三陸海岸は、お母さんがお嫁に行ってから訪れた岩手の中でも本当にきれいな大好きな場所だったと言います。
お母さんのふるさとではないけど、やっぱり日本のほかのどの場所よりお母さんにとっては思い入れのある場所。
今回の大震災を通して神様は私たち人間に、何を問おうとしているのでしょう・・。
どんな知恵や技術を持っても自然の力の前に人間は屈する瞬間があるということ。
そしてそこで得た教訓はどんなに時がたっても絶対に忘れてはいけないということ。
天を恨まず、生きることを与えられた人達はどんな苦難の中をも生き抜かなくてはならないのということ。
本当に考えれば考えるほど、この震災の意味はなんなのだろうと思います。

震災から三ヶ月が経とうというのに、積まれたままの瓦礫。
その瓦礫から目を海に移せば、こんな美しい穏やかに海が広がっています。

猛威をふるい恐ろしい牙をむき何もかもを飲み込んでいったあの海と同じ海とは思えません。
こんな場所に住んだら、おそらくほかに住みたいと思う場所はないだろうと誰もが思うほど、穏やかで美しい海辺の町。
これからここがどんな風に再建されていくのでしょう。
「あの美しい三陸 ふたたび」
願わずにはいられません。

山田町へ行ってきました その5

2011年06月16日 (木)

もう何年前のことになるのでしょう。まだ小さかった大姉ちゃんを連れてお母さんがこの浪板海岸を訪れたのは・・・・。
その時は釜石からこの沿岸を北上して宮古まで行ったのでした。
その途中立ち寄ったのがこの「浪板海岸」
ここは遠浅の海が広がり、寄せる波はあっても引く波のない、世界でも珍しい「片寄せの波」の海岸なのです。なんでも浜の砂が粗く、寄せた波が砂の間に吸い込まれてしまうからだといいます。
本当に遠浅の静かなきれいな海で、三陸の中でもお母さんが一番好きな場所でした。
津波のあと、どうしてもここをもう一度訪れたいと思ったお母さん。
しかし、訪れると海岸すっかり様変わりしていました。

もっともっと豊かな松林があったのがこんなになくなり、もっと驚くことに・・・。

画面右端に堤防が見えるのがわかりますか?
その堤防の下に「片寄せの波の美しい海岸」が広がっていたのです。


その堤防まで歩いて行ってみました。
するとなんとそこは海。つまり砂浜そのものが津波にさらわれてなくなってしまったのです。
大津波の勢いはそばに立つ観光ホテルのこの姿にもよく現れていました。

ホテルの4階くらいでしょうか?あの窓にまであんな大きな穴が空いています。
すさまじい津波の恐ろしさ・・・。

本当に自然の力には人間のどんな知恵や力を持ってしてもかなわない、ということを物語っているようです。
きらきら光る遠浅の海をずっと大姉ちゃんの手をつないで歩いたことを思い出すとお母さんは本当に悲しくて悲しくて・・と話していました。

山田町へ行ってきました その4

2011年06月15日 (水)

船越小学校という学校が山田町の中で唯一壊滅的な被害を受けた小学校です。
お父さんとお母さんはここの場所も見ておきたいと船越小学校まで行ってきました。
ここが正門です。

ちょうど湾にせり出すような形のところに位置する小学校。
地震直後、マニュアル通り校庭に避難していた児童たち。ところが主事さんの一人が学校のすぐ近くの海の様子をみて「これは大変」ととっさに判断して、児童を校庭から高台へ急遽避難させたのだそうです。
この機転により児童は無事だったそうです。ごらんの通り学校自体はこのような壊滅的な被害をうけました。本当に一分一秒、右と左が生死を分けるとはこのことです。

専門を入ると小学校の敷地の中にはお巡りさんがいました。
建物の中に入れないように警護しているのでしょうか。
海の見える本当にすばらしい眺めの学校ですが、こんな甚大な被害を受けていました。

船越小学校は今現在、青少年の家を借りてそこで学校を再開しています。
この学校に「大人と子供のための読みきかせの会」から、校内放送用の液晶テレビや絵本を寄付、またお母さんの呼びかけでたくさんの方から文房具などを送っていだきました。お母さんが訪ねたのがあいにく日曜日だったため、学校にはいけませんでした。でも、みんな元気に登校していることを役場の方に伺いました。
そしてもう一つショックだったのが、お母さんがこの三陸で一番好きな場所だった「浪板海岸」。
そのレポートは次号でまたお届けします。

山田町へ行ってきました その3

2011年06月12日 (日)

お母さんが習っている字手紙「さわらび会」の会員の皆さんがが避難所に字手紙を通して励ましのメッセージを届けたことはこのブログでも以前に紹介しました。
「みなさん、気に入った作品があればどうぞはがしてお持ちください」というメッセージを添えて送った字手紙。お母さんが訪れたときもちゃんとそのまま体育館の壁に字手紙が貼られていました。・・・と思いきや、なんとみなさんが気に入った作品を持って行ってくださり、お母さんが訪れたときはこの写真のように字手紙は全部無くなっていたのです!

今体育館はこんな風に6つの大きなスペースに区分けされその各ブースに10名前後の方が生活をしています。
お布団が積まれている右横に3枚の白いハガキが貼られているのわかりますか?それを見つけたお母さん!あ!字手紙だ!

この方は3枚こんな風にご自分の生活のスペースに貼っていてくださいました。短い言葉で綴ったそれぞれの思いがどんな風に被災された皆さんの心に届いたかはわかりません。でもこんな風にご自分の生活のスペースの近くに貼っていてくださるなんて・・・もしかしたら少しでも力になれたのかな、と本当に感激です。

帰り際にこの織笠小学校にボランティアでずっと読み聞かせにいらしているというグループの方たちにお目にかかりました。みんさん自身も被災されていらしゃるのに避難所に「傾聴ボランティア」として訪問されていました。
「去年盛岡で貴惠さんがやった音語り、山田からみんなで聞きに行ったのよー」と声をかけられお母さんまたまた感激。

織笠小学校に必ず読み聞かせに来ることを皆さんとも約束しました。
みなさんの行動力には本当に頭が下がります。
読みきかせの会にメールをくださった山田町の阿部信子さん、ありがとうございました。

必ずまた会いに行きますね。

山田町へ行ってきました その2

2011年06月09日 (木)

ここがいとこが避難所としている織笠小学校です。



東京都内では校庭に仮設住宅を設けれらるようなスペースはないところがほとんどだと思いますが、ここ織笠小学校はここのほかに校庭があるのでこの場所に仮設住宅が建てられました。
22件分が建ちましたがもちろん十分な数ではりません。



体育館の入り口には救援物資の日用品やジュースやお菓子などがこのようにきれいに並べられています。いとこに連絡を取りながら避難している方たちが何が今必要かを聞いて救援物資を送ってきました。お母さんの呼びかけで都内はもちろん名古屋、九州などからたくさんの救援物資が寄せられました。(送ってくださったみなさん、本当にありがとう!避難所のみなさん大変喜んでいました。)

体育館には段ボールで仕切りをつけて6つくらいのブースができていました。各ブロックに10名ほどの人達、合計80名暮らしています。
家族で暮らしている時には感じることのない「プライバシー」。これもここでの生活ではありません。生活の不便、不満があるに違いないという場所での毎日です。
お母さんは各ブースを回って皆さんと少しお話をしてきました。


震災の話に及べばみなさん自然と涙が流れ、それもそうですよ、だってあんなに美しかったふるさとは跡形もなく津波にのまれ、皆さんそれぞれが大切なものを失ったのですから・・・・・。
「ジャスミン、がんばってくださいなんて言えなかったよ。だってもうみんな頑張ってるんだもの・・・」
お母さんはこう言っていました。本当にみなさん、こういう生活でも秩序を保ち、思いやりを持ちながら生活をしておられ頭が下がる思いだったとお母さんが言っていました。



でも別れ際にはこんな素敵な笑顔も見せてくれました。
お母さんが首からかけているのは「いろいろなものを送ってくれてありがとう!」メダル。織笠小学校の児童が作ってくれたものでした。
いつか必ずみんなに会いに行きます。それまで待っていてね!
次回もまた山田町のレポートを予定しています。

山田町へ行ってきました

2011年06月08日 (水)

お母さんとお父さんが山田町へ行ってきました。
お父さんのふるさと盛岡から宮古へ行き、海岸線を下り山田町のいとこのいる避難所(織笠小学校)を訪ねてきました。
盛岡から約2時間、峠を越えて山田町に入ると信じられないような光景が目に飛び込んできました。

何もなくなってしまった織笠の様子です。

ニュースで幾度も目にしたこんな光景ですがやはり目の当たりにしたお母さんは言葉を失ったそうです。
町のいたるところにこんな風に船が打ち上げられています。震災から三ヶ月がたとうというのに・・・。

お父さんのお母さん、つまり盛岡にいるおばあちゃんがこの山田町織笠の出身。お父さんのいとこがこの町に住んでいて被災しました。
いとこの家は流されましたが幸い一命はとりとめ、今、織笠小学校に避難しています。
その関係から、お母さんの主宰する「大人と子供のための読みきかせの会」は今年一年間の公演活動で「山田町の復興支援のための募金箱」を設置。
活動を始めたところです。

この奥に見える白い建物が山田町の町役場です。地下は津波でやられましたが1階から上はなんとか浸食を免れ、役場の機能を果たしています。

震災以来ずっと連絡をとってきた、町長の沼崎さんと町役場の甲斐谷さんにお目にかかりました。いつか子供たちに大きな絵本の読み聞かせを聞いてもらいたい、ということを約束したそうです。
次回は避難所の様子をお知らせします。